<呉急行電鉄>車両設定…3000系
2004年 11月 17日
…呉急車両史上のターニングポイント…
3000系は、1975年(S50年)に、アルナ工機で製造された、4両固定・15m級高床ホーム専用電車である。
呉急は、戦後に区画整理のため、八丁堀のターミナルから撤退させられた
時から、再び八丁堀方面への乗り入れを検討していた。
その時、広島市が市内中心部を貫通する地下鉄路線計画を発表。
呉急は、東雲本町~(地下鉄2号線)~西広島⇒(広電宮島線直通)の
ルートで乗り入れる事になった。
その時に、地下鉄乗り入れ対応車として作ったのが、3000系である。
地下鉄乗り入れのため、今までの電車とは大きくスタイルを変えて、
・初の4両固定編成 ・前面貫通路 ・2灯腰ライト ・左側運転台
・2両ユニット1C8M…などを採用。
(これまでの車は1C4M・おへそライト・前面非貫通・中央運転台が基本)
「普通の電車っぽい」外観になった。
しかし、広島地下鉄計画は、中止となり、3000系も僅か2編成8両のみが
作られただけで造備が打ちきられた。
しかし、3000系が採用した腰ライトや運転台位置は、その後の車両設計に影響を与えた…
という設定です。
(その後、広島市街地中心部へは、広電乗り入れで実現するわけですが)
上から登場時、冷房化された今の姿(3003編成)、リニューアル(3001編成)です。