<呉急行電鉄>歴史設定v0.2
2004年 12月 20日
Puchiっと修正。
…
1922年…呉急の前身<廣嶋芸南電軌>が、比治山(現・呉急比治山)~
海田市間を開業させる。
1924年…廣芸電軌、比治山~堀川八丁堀(今は無い)間を開業。
1930年…廣芸電軌、海田市から焼山まで延伸。
芸南電軌を買収、「廣芸芸南線」とする。
1934年…牛田線(東雲〔現・東雲本町〕~牛田間)の建設開始
1935年…「戦前の名車」300系導入。
1937年…廣芸電軌、焼山から呉中央まで延伸。
広島から呉、そして広まで繋がる。(本線全通。)
音戸線(呉中央~的場〔~音戸口〕)の建設開始。
1940年…音戸線、的場まで開業。
牛田線、東雲(現・東雲本町)~牛田間全通。
急行運転開始。
1942年…吉島~新古市(現・呉急古市)間を結ぶ「廣嶋環状鐵道」を、
戦時統合で買収。
「吉島・古市線」になる。
1944年…急行運転休止。
1945年…(略)により、一時全線で運転休止。
1947年にかけて随時復旧するものの、堀川八丁堀~富士見町
間は、運転休止のまま廃止される。
1946年…社名変更。現在の社名(呉急行電鉄)となる。
1947年…500系導入。
1950年…急行運転復活。
1953年…音戸線、的場~音戸口間全通。
急行用800系導入。
1956年…各停用900系導入。(最後の新製釣り掛け車。)
1961年…初のカルダン高性能車1000系導入。
この頃から、旧「芸南電軌」路線の改修(専用軌道化)が始まる
1970年頃…「広島地下鉄」計画が提案される。
計画では、呉急は「東西線」に乗り入れることになっていた。
1975年…上の地下鉄直通用新車3000系を2編成導入。
1976年…地下鉄計画撤回。
1977年…3000系に変わって、地上線専用3100系を導入。
1988年…連絡線を建設して、広電市内線に乗り入れ。
2600系を導入。42年振りに、市内中心部へ乗り入れ。広電車も
相互直通乗り入れ。
…以上。修正バージョンなのですが、また絶対に修正するので、「コメント欄」にて意見をお待ちしています。