これは以前から温めたネタです。
昔は千日前線は平野へ乗り入れる計画でした。
その計画を利用し、関電南北本線をつなぐ新ルートの敷設免許がおりないか…と思います。
関西電鉄の構成会社「南河内軌道」です。
ルートは平野から大和川を渡り一津屋を経由して最終的には土師ノ里へ向かう路線(生野線)と藤井寺から八尾を通って経法大前までの路線(新河内線)というルートで1435㎜軌間で架線電圧は600vの路面電車として昭和初期に開業しました。
生野線は将来構想で難波まで延伸する計画で免許も取得していたのですが「市営モンロー主義」の壁に阻まれ平野どまりでした。
戦時統合で「関西電鉄」入りしますが難波までの延伸免許も関電が引き継いだため、この免許線と本線鶴橋~播磨町間の区間を交換し本線が全通しました。
残された生野線は引き続き「南河内軌道⇒関西電鉄」の運営でしたが1981年に千日前線が大和川手前の瓜破大和川感まで全通した時にそこから高架線で土師ノ里まで走らせた…という設定です。
電車もこれまでの路面電車タイプから地下鉄乗り入れ19m4ドアので750v第3軌粂方式に改められ、千日前線に乗り入れることになりました。
…というストーリーで行きたいです。
いずれ区間や電車の絵も描いてみたいです。